お茶と日々

お茶のことや日々のことなど徒然なるままに

先生と生徒

そんなこんなで
昨日を振り返ると反省点が
たくさん出てきて…汗

さすがにまだ
お稽古回数3回の新米ゆえ、
それは当たり前のことかもしれないけれど。

それでも

あーすればよかった」

「あそこはちゃんと指導できなかったな」

というのが自然と湧いてきてしまう。

(それもきっと仕方のないこと)


思うに。

今回受け持つことになった生徒さんたちは、
私を「先生」に育てるための
「先生たち」なのではないかと思う。

そしておそらく
先生としての道も「これで完成」というような
ものはないはずで。

とすれば、
永遠に「先生」は実は「生徒」なんではないかと。


「生徒」というか、
一番学びを得る者。


これは以前から思っていたことではあるけれど、
実際やってみてますますそう思う。

学びが好きな人。
もっと自分を成長させたいという人には
「先生」がオススメだ。笑

(あれ?私そうだったっけな?笑)


もちろん表面的には
「先生」が教えたり、指導したりする。

そして
「生徒」はそれを受け取る。

(ただし受け取り方はそれぞれ)

一見、あたかも
先生が生徒を育てているように見える。

そして実際そういう面もあるだろう。

けれど、
実は先生もまた生徒に育てられているのだ。


「先生」というのはそもそも
生徒がいてこそ「先生」になれる。

そして。
生徒がいるからこそ学べる。


以前にも書いたかもしれないけれど、
昔から「先生」と呼ばれる存在が
あまり好きではなくて。

それは
高圧的な態度だったり。
偉そぶっていたり。

(そう受け取ったのは私だけど)

でも、
先生というのはそういうものだ
とも思っていた。


しかし、
どう考えても先生がそのような態度である
ということはおかしいと、
自分が先生になってみて改めてそう思う。

先生というのは
どこまでも謙虚になってゆくのが
自然なことだと感じる。


昨日も「主客一体」と書いたけれど。

「一方的」なんてことありえないのだ。

いつでも2つでワンセットであり、
その2つは双方向的なのだ。


「先生」という単体も
「生徒」という単体も
それだけでは存在し得ない。

「先生」と「生徒」でワンセット。

双方があってそれぞれが存在し得るし、
片一方が一方的に影響を与えているのではなく、
双方、お互いに影響し合っている。

つまりはそこに上も下もなく、
平等なのだ。